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病院まで往復12キロ歩く

手術まで3週間となった。術前の通院としては、事実上、これが最後。麻酔科の診察だ。この日に合わせて、のびのびにしていた大腸検査も午前中に設定したので、ダブルヘッダーでの通院。なんだか、立派な病人だ。大腸検査は2回目とあって、前回の反省、すなわち、下痢している間の体温管理がうまくいかずに寒気がきつかったのを思い出して、途中、温かいお湯を飲むなど工夫したら、苦労なく下剤を飲み切れた。検査結果も問題なし!ということで、午前中の気分は上々。昼ごはんは家で、八郷で買ってきていた紐かわうどんを食べた。自画自賛だけど、野菜たっぷりのうどんは美味しい~。元気が自ずと出てくる。 そして思いついたのが、午後の筑波大には徒歩で行くことだ。大腸検査では鎮痛剤を使用したので車の運転はしないでくださいということだったので、当初はバスかタクシーと考えていたけど、片道6キロだし自分の足でいけるんじゃ?、でも汗をかきたくないから、さすがにジョギングはやめよう。ということで歩くことにした。90分も見れば十分。時間も明るいうちに帰ってこれそうな絶好なタイミングになりそう。そうして、気分よく、ペデストリアンを赤塚~大学まで堪能することにした。とてもよい気分転換になった。 ▲救急入口付近から見上げてみた ▲冬枯れしているけど気持ちいいペデ さて、麻酔科の診察って何だったのかと言えば、要は、手術の段取りと麻酔の弊害・アレルギーの有無などの問診があった。看護師さんによる問診とともに、手術の段取りの説明を受ける。それを聞いて、初めて、全身麻酔がどのようなものか理解できた。テレビでよく見る、酸素マスクと喉に送管を付けるあれをやるんだということがわかった。いろんな管を付けるときは麻酔が効いてからだから知らないうちにそうなっているわけだけど、取るのは麻酔が覚めてからなので結構驚くらしい。あと、喉の大きさや形状によっては入りにくい場合、歯が欠けたり・・・なんてこともあるらしい。結構な力で押し込むんだと思う。去年、奥歯の大工事をしてあるので安心した。来週も歯のクリーニングを予定しているのだけど、ちょうど良かった。 その後、タブレットを渡されて、手術についての説明動画をみさせられる。手術室に入室~退室の流れとか、パンツだけになってバスタオルがかけられる、髪はしばり、アクセサリーは取る、ネイルはしない・・などなど。あと、さらっと...

周囲の反応は慎重論が多し

乳がんステージ1の場合、根治率が100%に近いというのに、周囲の反応は慎重論が多数だなと思う。やはり、『乳がん』という言葉の印象のネガティブ度は以前として高い。 で、どこまでの人にお話しするか、最初は迷った。この点は、結構、多くの方が悩むと思う。結論的には、自身の心がコントロールしやすくなる範囲に知らせるのが適当だと思う。話したとき、過剰に心配される場合もあり、『そんなに心配する状況ではない』ということを説明するのに自分が疲れないことが大切。 本当は会社にも知らせなくてよいと思ったぐらいだけど、さすがに休みをたくさんまとめて取得するので、話しておいた方が人間関係がスムーズだからお伝えすることにして、あとは、家族と、ごく親しい、というか知っておいてもらっても差し支えない(心配されすぎない)友人に話すことにした。で、実際、どうだったか。 まず、同居家族の反応。夫と長男。2人とも理系ということもあり、数字への対応は慣れているらしく、根治率を伝えてあるので、ほぼ全く心配していない模様。やや物足りない気もするが(笑)、これが正しい反応だと思う。毎日、一緒に暮らしているのに、特別扱いされるとかえってやりにくい。 次に、非同居の実姉と実弟。普段はあまり交流がないのだが、実母が亡くなったばかりなので、その残務整理の都合上、結構頻繁に連絡しあっている。姉が過敏に反応することは、ある程度予想していたが、弟が突然、優しくなった(笑)。駅まで送っていくだの、おすすめのケーキを買ってあげるとか言ってくるようになった。心配されて気分が悪くはないが、乳がんで亡くなる方の印象が強いんだと思う。 会社の人たち、特に男性陣は冷静。これが一番ありがたかったし、この感じで日ごろから見守ってくれてるんだなと思った。これが実感できたことが嬉しかったです。女性陣はやはり揺れる人もいました。遺伝的に乳がんに心配をかかえている人がいることがわかりました。これまで会社では隔年のマンモグラフィでしたが、これからは毎年、福利厚生でマンモグラフィとエコーを受けられるよう会社に働きかけていきたい。 友人には、極力お伝えしていませんが、癌経験のある方にはアドバイスをいただくためにお伝えしました。やはり経験者は違います。細かい心のケアにつながる言葉をいただきました。たとえば、『揺るがない完治のイメージを強く描くこと』『入院時、周...

左乳房温存+放射線治療

2022年、病院の仕事はじめの正月4日に主治医からの診療説明を受けることとなった。自分ひとりで行く気満々だったけど、その日、ちょうど人間ドックで会社を休んでいた夫が行けるとのこと。なんだか面倒くさいなぁと思ったのだけど、万が一、想定外の話になったとき冷静に聞いてくれる人がいたほうがいいとのアドバイスがあったのでお願いすることにしました。他人について行ってもらう通院って、それこそ、10代のころ以来だと思う。いい大人が付き添い付きだなんて・・・と、なんとなく気恥ずかしさがありながら、診察室に入室。 結果、とにかく狭い!!! あんな狭いところに、私と夫、主治医と看護師の4人。完全に密です(笑) こんど、こっそりCO2センサーをもっていこうと思う。 主治医のBドクターから、乳房MRIなどのいわゆる、広がり検査の結果をふまえた結果と診療計画を聞かされました。ざっくり言うと特に新発見はなく、核は小さく(大きくても1センチ)、リンパへの転移なしで、ステージ1(早期)とのことでした。抗がん剤も使わないですむと思いますとのことでした。これには、あらためて、ほっとしました。 実際には資料に従って丁寧に説明いただきました。事前に予習してあったこともあって、ほとんど不明だと思うことはありませんでした。初耳の単語がないというだけでも大きな安心感だと思いますので、やっぱり、ある程度は勉強しておくことがおすすめな気がします。 私に向けられた質問は2つだったと思います。1つは、手術の方法について。乳房温存部分切除+放射線治療にするか、全切除するかです。これは患者本人の志向に大きく依存するものと思う。とはいえ、普通に考えれば、乳房温存だと思うのに、これを選ばない方の考えはどのようなものか疑問に思い、お聞きしてみました。乳房温存というのは、部分切除のため癌細胞を取り切れない可能性もあるし、再発防止のために放射線治療が前提となっている。それで、この放射線治療を嫌う人がいるとのことでした。放射線照射そのものが嫌だという人、あるいは、放射線治療のために連日通院することを嫌がる人もおられるとのことだった。確かに、そういうことはあるかもしれない。放射線と聞いただけで怖いと感じる人も多いと思う。実際には日常生活でも結構放射線を浴びているという予備知識があった私は温存を選択しました。やっぱり小さく切ったほうが体が楽...

約40年ぶり?の筑波大学付属病院

私は10代のころ、貧血がひどくて、ずっと筑波大学付属病院に通っていました。先日58歳となったのですが、その診察記録が今も残っているのか、予約は【再診】に振り分けられました。当時はまだまだデジタル化されてなかったと思うので、後付けで電子カルテ化がなされていたんだと思います。 紹介状や筑波記念病院での検査結果を受付で渡すと、電子カルテに読み込まれるようです。それでも、受付のあちこちは紙タバが無造作に置かれています。このあたりは病院の歴史でしょうか。増築であちこち変わったところはありましたが、もともとあった吹抜けロビーや渡り廊下といった配置は記憶がよみがえってきました。駐車場もそうですが、受付ロビーも診察室も人で溢れていました。ようやく乳腺外科にたどりつきましたが、女性ばかりでもなくご夫婦連れも多くみられました。そういうものなんですね・・・。主治医の先生は40代と思われる女医さんで、とても温和な雰囲気の方でした。先生の診断は、筑波記念病院のMドクターとほぼ同じでした。 ・早期なので完治できます ・手術はすることになりますが、詳細は検査の結果をみて。 ・今日は、尿検査、血液検査、心電図、レントゲン。後日、MRIとエコー ・結果は年明けに。一人で聞きますか? 私は一番気になっていたことを聞きました。それは、10月から新しい役職を打診されていて受けることにしていたので、もし、これをやめたほうがいいのであれば、早く協議する必要があります。先生の回答は『10月ごろには術後治療も終わって、すっかり落ち着ていると思いますよ。』これを聞いて、あらためて安心しました。 いろいろ検査をまわって、会計を済ませて駐車場に戻ると真っ暗でした。 そうだ、今日は冬至だった。病院は夜通し明かりは消えないのでしょうね・・・。昼間はドクターヘリや救急車がせわしく、夜も明かりが消えることはない・・。今年1年聞き続けていた『エッセンシャルワーカー』と言われる方々の労を思い知ります。車に乗り込み、会社から帰るより、ずっと早い時間ですが一目散で帰宅しました。コロナで人にあう機会が減っていたせいか、今日は病院で人酔いしたのか、すっかり疲れました。コロナになって、家では長男がテレワークをしています。灯りがある家に帰るのはいいものですね。 【癌優先枠】を使って、乳房MRIという先進検査を受けました、造影剤を使った無痛の検...

晴天の霹靂

『 晴天の霹靂』とは、このことを言うのだと思いました。 2021/12/11 筑波記念病院にて、浸潤性乳がんを告知されました。 ドクターに『今の時点で聞いておきたいことはありますか?』と聞かれ、『あ、ありません。今日は、無罪放免と言われる気満々だったんで・・・』と答えるのが精一杯でした。ドクターから『早期で根治可能』と言われたことは強く覚えています。 この日までの経緯は以下のとおりです。 2021年9月に会社の健康診断を受診。結果通知には精密検査を促す紹介状が2通入っていました。1つは乳腺外科、1つは消化器科でした。これまでも紹介状はいただいたことがありました。1年前は確か子宮関係、その前はやはり消化器だったと思います。いずれも、無罪放免となり、内心、(高額)精密検査ビジネスと揶揄していました。検査の受付、検査、検査の結果と最低3回の通院です。あぁ、まったく・・・。 10/16(土)乳腺外科へ。健康診断のときは、マンモグラフィは上下方向しか撮影していないので、水平方向にもとってみましょう、あと、エコーをやりましょうということになりました。まぁ、そういうことになるだろうなと想定内のお話がありました。自覚症状ですが、シコリは何度確認してもわかりませんでした。ただ、ときどき、チクチクする感覚は数年前からありました。けど、乳がんでは痛みを感じることはないと書いてあることが多かったので、気にしていませんでした。神経痛のようなものだろうと・・・。 11/2(火)放射線科へ。マンモとエコー。いてて・・・、やっぱり、マンモは痛いですよね。イメージとしては潰しながらひきちぎられる感じです。早くマンモに変わる、痛みのない検査機器ができてほしいです。エコーのほうはグリグリするだけだから痛みはありません。ふー、終わった。検査結果は2週間後。 11/13(土)乳腺外科で検査を聞く。ドクター『やはり、気になるものがあります。5ミリぐらいなんですけど、ちょっとギザギザした形。マンモだけからはわからないのですが、エコーとの合わせ技で硬度がわかるんですが、水疱ではなくシコリのように見えます。』『穿刺吸引細胞診をやりましょう』え??それになんか、ちょっと痛そうな名前だし、同意書もいるし・・・。本当にやらないきゃいけないの???からはじまって、不安が押し寄せ、この時点で、結構調べました。頭の中には脱毛と...